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【映画⑫】沈黙 -サイレンス-

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江戸幕府によるキリシタン弾圧が激しさを増していた17世紀。長崎で宣教師のフェレイラ(リーアム・ニーソン)が捕まって棄教したとの知らせを受けた彼の弟子ロドリゴアンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライヴァー)は、キチジロー(窪塚洋介)の協力で日本に潜入する。その後彼らは、隠れキリシタンと呼ばれる人々と出会い……。

 

【ここからネタバレ注意!】

※今回は映画の性質上、宗教的な価値観に多少触れます。とらえ方や価値観の一貫性のなさについてはどうかご容赦ください。

 

遠藤周作の小説が原作とのことで、宗教的に大きなテーマがあるということは知ってる程度の前知識で観始めました。

隠れキリシタン」「五島列島」等はニュースや歴史で知ってはいましたが、その時代にキリシタンとして生き、宣教師として海外から来た人たちの思いや生活を全くと言っていいほど知らなかったため、この作品には非常に興味を持っていました。

最初に一言感想を申し上げるなら・・・・

 

一般的に言われる宗教とは、人を救いもするが、殺すこともある。

信仰をもち人に勧めるのはよいが、決して強要してはならない。

同時にすでに信仰のある人に、別の信仰を求めたり、はく奪することはあってはならない。

ゆえに宗教とは気高く誇り高い思考でありながら、別の人に伝えることは細心の注意を払う必要がある。

 

「一言って言ったのに、一言じゃねーじゃん!」

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すみません・・・・

ただそれくらいまとめるのが難しく、書いている今もまとまっていません。

なので感じたことをテーマ別につらつら書かせていただきます。

 

・時代背景

キリシタン弾圧が厳しくなってきた江戸時代、日本は鎖国していたころで、乱世がやっと平定し、同時に徳川の封建制度も完成に近くなっていたころでしょうか。

戦国時代乱れに乱れたのは、一言で言うと秩序がなく、よく言えば自由で、悪く言えば無法だったからと思われます。

そこで徳川が目指した平和とは絶対的な規律

徳川を頂点とし「上の言うことは絶対」となり、すべての人はだれかの命令によって動き、誰かの顔色をうかがって生きる。

ゆえに出てくる人たちは自分の立場を全力で全うするのみで、だからこそ対立しても簡単に妥協しないし、曲げるくらいなら命を差し出すこともいとわない。

 

・登場人物

ロドリゴ

この作品の主役。信仰心が強く、棄教したフェレイラを激しく糾弾します。しかし最後は自分のために死にゆく信徒を救うため自らも棄教しました。

最初彼の生き方は気高く、棄教させようとする奉行所の人間たちは悪人に見えましたが、信徒が拷問され死んでいく信徒を目の当たりにしながらも、考え方をかたくなに変えないロドリゴを見て、無宗教人間の私は宗教の危うさと恐怖みたいものを感じてしまいました。

「人の命を犠牲にしてまでも貫く信仰に価値はあるのか?」

などと考えてしまいましたが

「そんな安直な考え方自体が宗教を理解できていない証拠なんだよ!」

と誰かに怒られてしまいそうで、一筋縄ではいかないジレンマを感じました。

 

・キチジロー

家族を裏切り、仲間を裏切り、キリスト教も裏切る。ただそんな自分の弱さを認め、常に救いを求める彼の生きざまは、卑怯でみじめに思えるが、実に人間的で、こんな人ほどキリスト教の救いを求めるだろうとも思いました。

信仰は大事かもしれないが、でも生きることのほうが大事だよねって感じの彼のスタンス、裏切ってしまったことへの後悔と申し訳なさを常に背負って生きる彼もまた魅力的で自分がこの時代にいきていたらきっとこんなふうになったのかもしれないと思わせてくれる人でした。

 

井上筑後守

隠れキリシタンや宣教師を容赦なく弾圧し、処刑していく悪人・・・・と最初は思っていましたが、彼は彼なりの考えを持ち、平和な世の中を保つためには仕方のないこととして厳しく取り締まっていたのではないかと考えました。

平和な世の中で、キリスト教のような思想がどう影響を及ぼすかわからない。

信仰を身に着けた農民たちがどんな動きをするかわからないところから早めに目を摘むのがよしとして動いていたのではないかと。

「日本は沼だ。キリスト教という芽は日本では育たないのだ」

といった発言が、宗教自体を否定しているのではなく、国と時代に合わないからやめてほしいという切なる願いだったのかもしれません。

 

この映画を観るまで無宗教人間の自分は宗教についていいとこどりの観点でとらえてました。仏教だろうと、キリスト教だろうと「いい感じのかんがえだなー」「自分に合うなー」ってやつだけ信じて、それ以上深入りしない。(占いとかいいのだけ信じる感じです)

それは結局信念をもって信仰を持ち、そのためには命を犠牲にるることさえもいとわない思考を、恐ろしいと考えつつ、気高く美しいその様子に嫉妬しながらも、一定の距離を置くことしかできず、自分なりの考え方を自分自身で構築し、自分教を信仰している程度がちょうどいいからだったのかもしれません。

 

宗教・思想というと禁忌のようで触れずらいですが、時代が変わればそれが

酒だったり、ギャンブルだったり、友達だったり、家族になったりして、みなオリジナルの信仰や信念をもつことが宗教・思想というあたらしい観念としてとらえられていく。

自分の宗教・思想というものについて改めて深く考えさせてくれる作品でした。